高齢犬の聴覚障害は8〜10歳頃から始まり、認知機能低下とも関連。早期発見にはBAER検査や日常観察が重要。視覚・触覚を活用したコミュニケーションで生活の質を維持できます。
「最近、うちの子の名前を呼んでも振り向かないんです…」そんな不安な声を、動物病院で何度も聞いてきました。愛犬の反応が鈍くなったとき、飼い主さんの心は揺れ動きます。15年間、動物病院アシスタントとして数えきれないほどの高齢犬と向き合ってきた私から、聴覚評価の大切なポイントをお伝えします。
心配になる前に知っておきたい高齢犬の聴覚変化
高齢犬の聴覚障害は想像以上に一般的です。実のところ、犬の聴覚は人間の3〜4倍も優れているといわれ、65Hz〜50,000Hzという広い周波数を聞き分けられます[1]。でも、年齢とともにその能力は徐々に衰えていきます。
私が勤めていた東京都世田谷区の動物病院でも、毎週のように「最近反応が鈍い」という相談を受けました。とはいえ、すぐに「耳が聞こえない」と決めつけるのは早計です。2018年の春、12歳のゴールデンレトリバーが来院したときのこと。飼い主さんは「完全に耳が聞こえなくなった」と思い込んでいましたが、検査の結果、実は中耳炎が原因でした。適切な治療で聴力はかなり回復したんです。
年齢による聴覚変化の特徴
| 年齢 | 聴覚の状態 | よく見られる症状 |
|---|---|---|
| 8〜10歳 | 高音域から聞こえにくくなる | 犬笛への反応低下、女性の声に反応しにくい |
| 10〜12歳 | 中音域も影響を受ける | 名前を呼んでも気づきにくい、チャイムに反応しない |
| 12歳以上 | 全体的な聴力低下 | 大きな音にも反応しない、睡眠が深くなる |
さて、なぜ高齢になると聴力が落ちるのでしょうか。これは「老齢性聴覚障害(presbycusis)」と呼ばれ、音波の振動を伝える耳小骨の動きが老化により弱くなることが主な原因です[2]。人間と同じように、避けられない自然な変化なのです。
獣医師も実践する聴覚評価の具体的方法
まずは家庭でできる簡単なチェックから始めましょう。私たちが病院で最初に行うのも、実は意外とシンプルな方法なんです。
日常生活でできる聴覚チェック法
自宅でできる5つのチェックポイント
- 寝ているときに、少し離れた場所で手を叩いてみる
- 背後から名前を呼んで、耳が動くか観察する
- 食器を準備する音への反応を確認する
- ドアの開閉音に気づくかチェックする
- 他の犬の吠え声への反応を見る
ところが、これだけでは判断が難しいケースも。なぜなら、犬は振動や視覚、においなど他の感覚で補っているからです。2019年秋、私が担当した14歳の柴犬は、飼い主さんの帰宅を必ず玄関で待っていました。「耳は聞こえているのかも?」と期待しましたが、実は車の振動を感じ取っていただけだったのです。
動物病院での専門的な聴覚検査
BAER(聴性脳幹誘発反応)検査は、現在最も信頼できる聴覚評価方法です。この検査では、耳に音を聞かせて脳波の反応を測定します。麻布大学の研究チームが発表した論文によれば、この検査は軽度鎮静下あるいは覚醒下でも実施可能で、高齢犬にも負担が少ないとされています[3]。
実際の検査では、50dB、70dB、90dBと段階的に音の大きさを変えて反応を確認します。正常な犬は50dB(普通の会話程度)で反応しますが、中等度の聴力低下では70dB、重度では90dB以上の音でないと反応しません[4]。
⚠️ 検査前に知っておくべきこと
BAER検査は全ての動物病院で実施できるわけではありません。主に大学病院や専門病院で行われるため、かかりつけ医に相談して紹介してもらう必要があります。検査費用は施設により異なりますが、2万円〜5万円程度が一般的です。
認知症との意外な関係を見逃さないために
聴覚障害と認知機能低下には密接な関係があります。アメリカの研究チームが2022年に発表した研究では、聴力が低下した高齢犬は認知症のリスクが高いことが明らかになりました[5]。聴覚からの刺激が減ることで、脳の活性化も低下してしまうのです。
忘れもしない2020年の冬、15歳のビーグルが「夜鳴き」の相談で来院しました。飼い主さんは認知症を疑っていましたが、詳しく調べると重度の聴覚障害が判明。自分の声が聞こえないため、不安から大声で吠えていたのです。視覚的なコミュニケーションを増やし、安心できる環境を整えることで、夜鳴きは劇的に改善しました。
生活の質を保つための実践的サポート法
聴覚が衰えても、愛犬との絆は変わりません。むしろ、新しいコミュニケーション方法を見つける良い機会になります。
視覚と触覚を活用したコミュニケーション術
ある日、診察室で出会った聴覚を失った13歳のラブラドールは、飼い主さんの手話を完璧に理解していました。「おすわり」は人差し指を立てる、「待て」は手のひらを向ける。その姿を見て、私は改めて犬の適応力の高さに感動しました。
今日から始められる5つの工夫
- 振動で知らせる:床を軽く踏んで振動で存在を知らせる
- 光の活用:懐中電灯やライトで注意を引く
- においの利用:好きなおやつの香りで誘導する
- 触覚的合図:優しくタッチして合図を送る
- 表情を豊かに:大げさな表情で感情を伝える
とはいえ、急に触ると驚かせてしまうことも。私の失敗談ですが、聴覚障害のある犬の背後から不用意に触ってしまい、反射的に噛まれそうになったことがあります。必ず視界に入ってから、ゆっくりと接触することが大切です。
安全な環境づくりのポイント
家の中でも外でも、聴覚障害のある犬には特別な配慮が必要です。散歩中は必ずリードをつけ、庭では柵を設置しましょう。車の音が聞こえないため、道路への飛び出しは命に関わります。
それから、首輪に「耳が聞こえません」と書いたタグをつけることをお勧めします。万が一迷子になったとき、保護してくれた人が適切に対応できるからです。
諦めない飼い主さんへのメッセージ
高齢犬の聴覚障害は、決して「お別れの始まり」ではありません。15年間の経験から断言できますが、聴覚を失った犬も幸せな生活を送れます。大切なのは、変化を受け入れ、新しい関係を築いていくこと。
最後に、私が最も印象に残っている出来事をお話しします。2021年の春、16歳で完全に聴力を失ったミニチュアダックスフンドがいました。でも飼い主さんは諦めませんでした。毎日アイコンタクトを取り、優しく撫で、たくさんの愛情を注ぎ続けました。その子は18歳まで、穏やかで幸せな日々を過ごしたのです。
愛犬の聴覚が衰えても、あなたの愛情は必ず伝わります。焦らず、ゆっくりと、新しいコミュニケーションの形を見つけていってください。きっと、今まで以上に深い絆で結ばれるはずです。
よくある質問
高齢犬の聴覚障害は治療できますか?
老齢性の聴覚障害(加齢による自然な変化)は残念ながら治療で回復させることはできません。ただし、中耳炎や外耳炎、耳垢の詰まりなど、治療可能な原因による聴力低下もあるため、まずは獣医師の診察を受けることが大切です。早期発見・早期治療により、聴力が改善する可能性もあります。
BAER検査はどのくらいの頻度で受けるべきですか?
健康な犬の場合、8歳を過ぎたら年に1回程度の検査をお勧めします。すでに聴力低下が認められる場合は、進行具合を把握するため半年に1回程度の検査が理想的です。ただし、検査には費用もかかるため、かかりつけ医と相談して必要性を判断してください。
片耳だけ聞こえない場合はどうすればいいですか?
片側性の聴覚障害は意外と多く、飼い主さんも気づきにくいものです。聞こえる側から声をかける、散歩では聞こえる側を道路側にするなどの工夫が必要です。また、片側性の場合は外傷や腫瘍など治療可能な原因があることも多いため、必ず獣医師の診察を受けてください。
聴覚障害のある犬に補聴器は使えますか?
海外では犬用の補聴器(中耳インプラント)の研究が進んでいますが、日本ではまだ一般的ではありません。外付けタイプの補聴器は犬が嫌がることが多く、実用的ではないのが現状です。将来的には技術の進歩により、より良い選択肢が増えることが期待されています。
夜鳴きがひどくなったのは聴覚障害のせいですか?
聴覚障害により自分の声が聞こえなくなると、不安から大きな声で吠えることがあります。また、周囲の音が聞こえないことで不安感が増し、夜鳴きにつながることも。ただし、認知症や痛み、不快感など他の原因も考えられるため、総合的な診断が必要です。
飼い主の声
「14歳のコーギーが急に呼んでも来なくなり、最初は『わがままになった』と思っていました。でもBAER検査で重度の聴覚障害とわかり、申し訳ない気持ちでいっぱいに。今は手話とアイコンタクトでコミュニケーションを取っています。むしろ以前より目を見つめ合う時間が増えて、絆が深まった気がします」(東京都・Mさん)
「うちの16歳のプードルは、聴覚を失ってから臆病になりました。でも振動で合図を送る方法を覚えてから、また散歩を楽しめるように。獣医さんに『犬は順応性が高い』と言われた通り、新しい生活にも慣れてくれました。諦めなくて本当によかったです」(神奈川県・Tさん)
参考文献
- みんなのどうぶつ病気大百科. 聴覚障害 <犬>. アニコム損害保険株式会社. Available at: https://www.anicom-sompo.co.jp/doubutsu_pedia/node/1022
- みんなのどうぶつ病気大百科. ワンちゃんの聴覚障害について. アニコム損害保険株式会社. Available at: https://www.anicom-sompo.co.jp/doubutsu_pedia/node/1298
- 中/内耳疾患を疑う犬における聴性脳幹誘発反応の有用性の検討. 日本獣医師会雑誌 63(7):531. Available at: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvma/63/7/63_531/_article/-char/ja/
- Fefer G, et al. (2022). Relationship between hearing, cognitive function, and quality of life in aging companion dogs. Journal of Veterinary Internal Medicine. 36(5):1708‐1718. doi:10.1111/jvim.16510
- The latest in neurology – presbycusis and quality of life in companion dogs. Veterinary Practice. March 28, 2023. Available at: https://www.veterinary-practice.com/article/presbycusis-impact-quality-of-life-dogs
- Ter Haar G, et al. (2010). Treatment of Age-Related Hearing Loss in Dogs with the Vibrant Soundbridge Middle Ear Implant. J Vet Intern Med. 24:557–564. doi: 10.1111/j.1939-1676.2010.0486.x
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