犬の急な脱毛の見分け方:季節換毛は全身からまんべんなく抜け、2〜4週間で落ち着きます。一方、ホルモン異常による脱毛は左右対称パターンで、頭と四肢の先を残して体幹が薄くなります。甲状腺機能低下症では約66%に左右対称の脱毛が見られ、毛艶低下・体重増加を伴います。クッシング症候群では皮膚が薄くなり、腹部膨満・多飲多尿が特徴です。1ヶ月以上続く脱毛や全身症状を伴う場合は、獣医師への相談をお勧めします。
「うちの子、最近やけに毛が抜けるんです」――2017年の秋、横浜市内の動物病院で受付をしていた私のもとに、8歳のゴールデンレトリーバーを連れた飼い主さんが駆け込んできました。ソファに座るたびにふわふわと舞い上がる被毛。掃除機をかけても追いつかない抜け毛の量。でも、この脱毛が「ただの換毛期」なのか「病気のサイン」なのか、見分けがつかず不安を抱えている方は本当に多いのです。
あなたの愛犬の抜け毛、どのタイプですか?
犬の脱毛を目にしたとき、まず確認してほしいのは「どこから」「どのように」抜けているかという点でしょう。季節の変わり目に見られる換毛と、ホルモンバランスの乱れによる脱毛では、その様相がまったく異なります。私が動物病院で15年間見てきた症例から、判別のポイントを整理してみましょう。
換毛期の抜け毛は、全身からモザイク状にまんべんなく抜けるのが基本パターンです。春先になると日照時間が長くなり、体内のメラトニン分泌が減少。するとプロラクチンというホルモンが増えて、冬毛がごっそり抜け始めます。ダブルコートを持つ柴犬やハスキー、ゴールデンレトリーバーなどは特に顕著で、まるで綿雪のように下毛が舞い散る光景を目にした方も多いはず。
ところが2019年4月、私の勤務先に来院した6歳のポメラニアン「モコちゃん」の場合は違いました。お腹と背中の毛だけがスカスカになり、顔と足先はふさふさのまま。その境界線が妙にくっきりしていて、見た瞬間「これは換毛じゃない」と直感したのを覚えています。
| 項目 | 季節換毛 | ホルモン異常による脱毛 |
|---|---|---|
| 抜け方のパターン | 全身からまんべんなく | 体幹部中心・左右対称 |
| 頭部・四肢の先 | 同様に抜ける | 毛が残ることが多い |
| 期間 | 2〜4週間で落ち着く | 数ヶ月〜継続的 |
| 皮膚の状態 | 正常 | 色素沈着・菲薄化あり |
| かゆみ | なし | 基本的になし |
| 全身症状 | なし | 体重変化・活動性低下など |
甲状腺機能低下症が引き起こす「静かな脱毛」
甲状腺機能低下症は犬で最も多い内分泌疾患の一つで、中年齢以降の犬に好発します[1]。1994年にPancieraらが報告した66症例の研究では、この病気は去勢・避妊済みの犬で発症リスクが高まることが示されています[2]。
実際のところ、この病気による脱毛には独特の特徴があります。Merck獣医マニュアルによれば、甲状腺機能低下症の犬のおよそ3分の2で左右対称の脱毛が観察されるとのこと。体幹の側面、尾の背側(いわゆる「ラットテール」と呼ばれる状態)、後ろ足の後方、そして鼻すじなどに脱毛が見られやすいのです。
2015年の冬、名古屋市内の動物病院に転職したばかりの頃、印象的な症例に出会いました。7歳のラブラドールレトリーバー「レオくん」は、飼い主さんいわく「最近太ってきて、なんだか元気がない」とのこと。確かに体重は前年より4kg増加。毛並みを見ると、ツヤがなくパサパサで、腰回りと尾の毛がまばらになっています。さて、換毛期のせいでしょうか。
血液検査の結果、甲状腺ホルモン(T4)値が基準値を大きく下回っていました。甲状腺刺激ホルモン(TSH)は上昇。典型的な原発性甲状腺機能低下症です。Mooney CTの総説によると、血清コレステロール値の上昇は甲状腺機能低下症の犬の約80%で認められ、診断の補助的指標として有用とされています[3]。レオくんも例に漏れず、コレステロール値が上昇していました。
甲状腺機能低下症を疑うべきサイン
以下の症状が複数見られる場合は、早めの受診を検討してください。左右対称の脱毛(体幹部・尾)、毛艶の低下・乾燥、剃毛後に毛が生えてこない、原因不明の体重増加、元気がない・寒がり、心拍数の低下、繰り返す皮膚感染症。
なぜ甲状腺ホルモンが減ると毛が抜けるのか
毛の成長サイクルには「成長期(アナゲン期)」「退行期(カタゲン期)」「休止期(テロゲン期)」の3段階があります。甲状腺ホルモンは代謝全般を司る物質ですから、その低下は毛包にも影響を及ぼします。休止期が長引き、新しい毛が生えてこない。古い毛は自然に抜け落ちるのに、後続がいない。結果として毛が薄くなるというメカニズムですね。
ただし、ここで注意してほしい点があります。犬種によって毛の成長サイクルは異なるということ。1983年のGunaratnamらの研究では、ボクサーやラブラドール、コリーなどは休止期が優勢な犬種である一方、ウエストハイランドホワイトテリアやケアンテリアは成長期が優勢であることが示されています。つまり犬種によって「正常な抜け方」自体が違うのです。
クッシング症候群という「見落としやすい病気」
副腎皮質機能亢進症、いわゆるクッシング症候群も脱毛を引き起こす代表的な内分泌疾患です。2019年にCarotenutoらがイタリアで実施した疫学調査では、21,281頭の犬を対象に調査を行い、この病気の実態が報告されています[4]。中年齢から高齢の犬に多く、特に下垂体性クッシング症候群(全体の約85%)では小型犬に多い傾向があります。
Frankの総説論文では、クッシング症候群の最も特徴的な皮膚症状として「頭部と四肢遠位部を除いた左右対称性脱毛」が挙げられています[5]。甲状腺機能低下症と似ていますが、決定的に違う点がいくつかあります。
まず皮膚の薄さ。クッシング症候群では慢性的なコルチゾール過剰によって皮膚が菲薄化し、血管が透けて見えるほど薄くなることがあります。2020年の秋、大阪市内で出会った9歳のミニチュアダックスフント「ハナちゃん」は、お腹の皮膚が紙のように薄く、軽く押さえただけで内出血を起こしそうなほどでした。
次に腹部の膨満、いわゆる「太鼓腹」。これはコルチゾールの異化作用による腹筋の萎縮と、肝臓の腫大が重なって生じます。ふと気づくと、愛犬のお腹がやけに出っ張っている。「太ったのかな」と思いがちですが、実は筋肉が落ちて内臓を支えられなくなっているのかもしれません。
クッシング症候群の診断は難しい
この病気の診断が厄介なのは、症状が徐々に進行するため「年のせい」と見過ごされやすい点でしょう。水をよく飲む、おしっこの量が増えた、やたらとお腹が空くらしい。これらは高齢犬によくある症状として片付けられがちです。
診断には低用量デキサメサゾン抑制試験(LDDST)やACTH刺激試験といった内分泌検査が必要になります。2023年のAAHA(アメリカ動物病院協会)ガイドラインでも、臨床症状がある場合にのみ検査を行うべきとされており、「なんとなく怪しい」だけでは検査の適応にならないことも。だからこそ、飼い主さんの日常観察が重要になってくるのです。
「アロペシアX」という謎多き脱毛症
さて、ここまで甲状腺とクッシングの話をしてきましたが、実はもう一つ知っておいてほしい脱毛症があります。「アロペシアX」と呼ばれる、原因不明の毛周期停止症です。
2017年にBrunnerらがPLoS ONE誌に発表した研究では、ポメラニアンなどの北方系犬種に好発するこの疾患について、毛周期を制御する遺伝子発現パターンの異常が報告されています[6]。かつては「成長ホルモン反応性脱毛症」とも呼ばれていましたが、現在ではその名称は使われなくなりつつあります。
2014年、東京都内の動物病院で出会った4歳のポメラニアン「クルミちゃん」のケースを紹介しましょう。1年ほど前から徐々に体幹部の毛が薄くなり、皮膚が黒っぽく変色。ところが血液検査をしても甲状腺機能は正常、コルチゾール値も問題なし。皮膚生検で「毛周期停止」の所見が確認され、最終的にアロペシアXと診断されました。
この病気の特徴は、全身状態は良好なのに毛だけが生えてこないという点。健康上の問題はないため「美容上の問題」として扱われることもありますが、飼い主さんにとっては大きな悩みでしょう。
自宅でできるチェックリスト
では実際に、愛犬の脱毛が「様子見でいいのか」「病院に行くべきか」をどう判断すればよいでしょうか。15年間の現場経験から、私なりのチェックポイントをまとめてみました。
脱毛パターンの観察ポイント
まず愛犬を上から見てください。左右対称に毛が薄くなっていませんか。次に横から観察。お腹が異様に出ていたり、皮膚が薄くなっていたりしませんか。そして全身の毛艶。パサパサしていたり、フケが多かったりしませんか。これらに該当する場合は、獣医師への相談をお勧めします。
もう一つ大切なのが、全身症状の有無です。抜け毛と同時期に以下のような変化はありませんか。
体重が増えた、または減った。水を飲む量が明らかに増えた。食欲が異常に亢進している、あるいは逆に落ちている。散歩を嫌がるようになった。寒がりになった。これらの症状があれば、単なる換毛ではない可能性が高まります。
病院で行われる検査の流れ
動物病院を受診すると、まず問診と視診が行われます。脱毛の始まった時期、進行のスピード、かゆみの有無、全身症状の有無などを詳しく聞かれるでしょう。その後、必要に応じて以下のような検査が行われます。
血液一般検査では、貧血や炎症の有無を確認。血液生化学検査では肝臓・腎臓機能やコレステロール値などをチェックします。甲状腺機能検査では血清T4、遊離T4、TSHなどを測定。クッシング症候群が疑われる場合は、ACTH刺激試験やLDDSTが行われることもあります。
検査費用は病院によって異なりますが、甲状腺機能検査だけなら5,000〜10,000円程度。クッシング症候群の精査となると、2〜3万円かかることもあります。ただし、早期発見・早期治療によって愛犬のQOL(生活の質)を大きく改善できる可能性があることを考えれば、必要な投資といえるでしょう。
季節換毛を上手に乗り越えるコツ
一方で、「やっぱりただの換毛期だった」という場合も多いものです。その場合の対処法についても触れておきましょう。
ダブルコートの犬種、特に柴犬やシベリアンハスキー、サモエド、ゴールデンレトリーバーなどは春と秋に大量の下毛が抜けます。この時期は毎日のブラッシングが基本。アンダーコート用のスリッカーブラシやファーミネーターなどを使って、死毛を効率よく取り除いてあげましょう。
シャンプーも効果的です。温かいお湯でしっかり濡らし、指の腹で皮膚をマッサージするように洗うと、緩んだ毛が浮き上がってきます。ただし、洗いすぎは皮膚の乾燥を招くので、換毛期でも月2回程度に留めておくのが無難でしょう。
食事面では、良質なタンパク質とオメガ3脂肪酸が毛艶の維持に役立ちます。フィッシュオイルや亜麻仁油を食事に加えている飼い主さんも多いですね。ただし、サプリメントの過剰摂取は別の問題を引き起こす可能性もあるので、かかりつけの獣医師に相談してから始めることをお勧めします。
最後に:「見守る」と「見過ごす」は違う
2023年に動物病院を退職した今も、たまにこんな相談を受けます。「病院に連れて行くほどじゃないと思うんですが…」と。気持ちはよくわかります。でも、内分泌疾患による脱毛は進行がゆっくりなため、気づいたときにはかなり進んでいることも少なくありません。
甲状腺機能低下症もクッシング症候群も、適切な治療を行えばコントロール可能な病気です。甲状腺機能低下症ならレボチロキシンの内服で、多くの犬が元気を取り戻します。毛も数ヶ月かけて徐々に生え揃ってくることが多いでしょう。
大切なのは、日常の「あれ、おかしいな」という感覚を大事にすること。換毛期だから、年だから、と自己判断で済ませず、気になったら獣医師に相談する。それが愛犬の健康を守る第一歩です。
あのゴールデンレトリーバーの飼い主さんは、検査の結果「ただの換毛期でした」と安堵の表情を浮かべていました。「来てよかった」と言ってくださったその言葉が、今でも心に残っています。不安を抱えたまま過ごすより、はっきりさせた方がずっと楽になれる。そんな当たり前のことを、改めて教えていただいた出来事でした。
よくある質問
犬の換毛期はいつですか?
犬の換毛期は主に春(3月〜6月頃)と秋(9月〜11月頃)の年2回です。日照時間の変化がホルモン分泌に影響し、被毛の生え変わりを促します。室内飼いの犬は空調の影響で季節感が薄れ、年間を通じて少しずつ抜けることもあります。ダブルコートを持つ犬種(柴犬、ハスキー、ゴールデンレトリーバーなど)は特に抜け毛が顕著になります。
左右対称に毛が抜けるのは病気ですか?
左右対称の脱毛パターンはホルモン異常を示唆する重要なサインです。甲状腺機能低下症では約3分の2の症例で左右対称の脱毛が報告されています。体幹部、尾の付け根、後ろ足の外側などに見られる場合は、早めに獣医師の診察を受けることをお勧めします。ただし、季節換毛でも軽度の左右差が出ることはあるため、他の症状と合わせて判断することが大切です。
甲状腺機能低下症による脱毛の特徴は?
甲状腺機能低下症の脱毛は、かゆみを伴わない左右対称の脱毛が特徴です。毛艶の低下、毛が乾燥してパサつく、剃った毛がなかなか生えてこない、という症状も見られます。同時に体重増加、元気がない、寒がりになるといった全身症状を伴うことが多いです。好発犬種としてゴールデンレトリーバー、ドーベルマン、アイリッシュセッター、ダックスフントなどが知られています。
クッシング症候群と季節換毛の違いは?
季節換毛は全身からまんべんなく抜け、数週間で落ち着きます。一方、クッシング症候群では頭部と四肢の先端を残して体幹部だけが薄くなり、皮膚が薄くなったり、腹部が膨らむ(太鼓腹)などの症状を伴います。多飲多尿や食欲異常亢進も特徴的です。皮膚の菲薄化や色素沈着、石灰沈着(カルシノーシスカティス)などが見られる場合はクッシング症候群を強く疑います。
いつ病院に連れて行くべきですか?
以下の症状がある場合は早めの受診をお勧めします。脱毛が1ヶ月以上続く、左右対称に抜けている、皮膚の色が黒ずんでいる、毛を剃った部分が生えてこない、同時に元気がない・太ってきた・水をよく飲むなどの全身症状がある場合です。また、皮膚に赤みやかゆみ、フケ、かさぶたなどがある場合は、内分泌疾患以外の皮膚病の可能性もあるため、やはり受診をお勧めします。
飼い主さんの声
「7歳のミニチュアシュナウザーの毛が急に薄くなり、換毛期かなと思って3ヶ月ほど様子を見ていました。でもなかなか生えてこないので病院に行ったところ、甲状腺機能低下症と診断されました。薬を飲み始めて2ヶ月ほどで毛が生え始め、半年後にはほぼ元通りに。もっと早く病院に行けばよかったと後悔しています」(東京都・Kさん・40代女性)
「うちの柴犬は毎年春になると大量に毛が抜けます。最初は病気かと心配して病院に連れて行きましたが、ただの換毛期でした。それ以来、春と秋は覚悟を決めて毎日ブラッシング。掃除は大変ですが、ふわふわの夏毛に生え変わった愛犬を見ると嬉しくなります」(神奈川県・Tさん・30代男性)
参考文献
- Mooney CT. Canine hypothyroidism: a review of aetiology and diagnosis. N Z Vet J. 2011;59(3):105-14. doi: 10.1080/00480169.2011.563729. PMID: 21541883
- Panciera DL. Hypothyroidism in dogs: 66 cases (1987-1992). J Am Vet Med Assoc. 1994;204(5):761-7. PMID: 8175472
- Merck Veterinary Manual. Hypothyroidism in Animals. https://www.merckvetmanual.com/endocrine-system/the-thyroid-gland/hypothyroidism-in-animals (accessed 2025-12-04)
- Carotenuto G, Malerba E, Dolfini C, et al. Cushing's syndrome—an epidemiological study based on a canine population of 21,281 dogs. Open Vet J. 2019;9(1):27-32. PMC6500859
- Frank LA. Comparative dermatology--canine endocrine dermatoses. Clin Dermatol. 2006;24(4):317-25. doi: 10.1016/j.clindermatol.2006.04.007. PMID: 16828413
- Brunner MAT, Jagannathan V, Waluk DP, et al. Novel insights into the pathways regulating the canine hair cycle and their deregulation in alopecia X. PLoS One. 2017;12(10):e0186469. doi: 10.1371/journal.pone.0186469. PMID: 29065140
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