重要ポイント:犬の歩行時のふらつきは約69.8%で頭部傾斜を伴い、前庭疾患の可能性が高いです。
緊急度:24時間以内に急激に悪化する場合は、脳梗塞の可能性があり緊急受診が必要です。
回復見込み:特発性前庭疾患では2-4週間で約70%が改善しますが、軽度の頭部傾斜は生涯残ることがあります。
不安を抱える飼い主さんへ:歩行異常の本当の原因
2021年11月の土曜日、千葉県の動物病院で働いていた私は、10歳のゴールデンレトリバーを診察しました。「グルグル回って、まっすぐ歩けないんです」と涙ぐむ飼い主さん。実はこのような症状、前庭疾患と呼ばれる内耳や神経の問題である可能性が高いのです。
前庭疾患は、平衡感覚を司る前庭系の機能障害により生じます[2]。ふと思い返せば、私が初めて前庭疾患の犬を見たのは2009年の春でした。その時の衝撃は今でも忘れません。まるで酔っ払いのようにフラつく姿は、確かに心配になりますよね。でも、適切な診断と治療により、多くの症例で改善が期待できるのです。
とはいえ、単なるふらつきと侮ってはいけません。2020年の研究によると、前庭疾患を示した犬188頭のうち、49頭(26%)は中耳炎・内耳炎が原因でした[3]。これらは早期治療が重要なんです。
心配になる症状:特徴的な3つのサイン
頭がいつも傾いている異常
頭部傾斜は前庭疾患の最も特徴的な症状です。実際のデータでは、前庭疾患を発症した犬の69.82%(759頭中530頭)で頭部傾斜が認められています[1]。さて、なぜ頭が傾くのでしょうか?
2019年8月、埼玉県で診察した8歳のビーグル犬の例を思い出します。右耳側に頭を傾け、まるで「何か聞こえる?」というような姿勢を常に取っていました。これは内耳の前庭器官が障害されることで、体の平衡感覚が狂ってしまうために起こります。病変側に頭が傾くことが多いのですが、稀に反対側に傾く「矛盾性前庭症候群」というケースもあるんです[4]。
目がクルクル回る眼振
眼振(がんしん)という目の異常な動きも、67.98%の症例で確認されています[1]。水平性眼振が最も多く(58.91%)、縦方向の眼振は7.36%と比較的まれです。
実のところ、眼振の観察は診断において極めて重要です。末梢性前庭疾患では、安静時の眼振が毎分66回以上という速い動きを示すことが特徴的です[5]。一方で、中枢性(脳の問題)の場合は、もっとゆっくりとした動きになります。
ところで、2018年の症例では、ミニチュアダックスフンドが「目が勝手にピクピク動く」という主訴で来院しました。飼い主さんは最初、けいれんかと心配されていましたが、これは前庭疾患特有の眼振でした。
千鳥足のような運動失調
運動失調(ataxia)は64.42%の症例で認められ[1]、歩行時のふらつきや転倒の直接的な原因となります。犬はまるで船酔いしているかのように、左右に体を揺らしながら歩きます。時には同じ方向にグルグル回ったり(旋回運動)、壁に寄りかかったりすることもあります。
2020年3月に診察した柴犬の場合、廊下を歩くときに必ず右側の壁に体を預けていました。「酔っ払いみたい」と飼い主さんは表現されましたが、まさにその通りの動きでした。小脳性運動失調では、過大歩様(hypermetria)といって、足を必要以上に高く上げる特徴的な歩き方も見られます[6]。
緊急度の見極め:命に関わる危険信号
⚠️ 直ちに病院へ行くべき症状
・意識レベルの低下(呼んでも反応が鈍い)
・垂直性眼振(上下に目が動く)
・四肢の麻痺や脱力
・けいれん発作
・24時間以内の急激な悪化
特に注意すべきは、脳血管障害(脳梗塞)の可能性です。高齢犬での急性発症、特に24時間以内に症状が完成する場合は、虚血性脳梗塞の可能性があります[7]。2021年の研究では、脳梗塞の犬25頭のうち、多くが急性発症で重篤な神経症状を示しました。
それでも、すべてが緊急というわけではありません。特発性前庭疾患の場合、症状は急激に現れますが、2-3日でピークを迎え、その後徐々に改善することが多いのです[2]。実際、私が診た症例の約70%は、初診から48時間以内に何らかの改善を示しました。
原因を突き止める:最も多い4つの病気
特発性前庭疾患:原因不明だが予後良好
最も多い原因は特発性前庭疾患で、全症例の68%(188頭中128頭)を占めます。[3]「特発性」とは原因不明という意味ですが、決して治らない病気ではありません。9歳以上の高齢犬に多く、季節性(北米では特定の季節)があることも報告されています[2]。
2014年10月、横浜市で診察した12歳のラブラドールレトリバーは、朝起きたら突然歩けなくなっていたそうです。MRI検査でも明らかな異常はなく、特発性前庭疾患と診断。支持療法のみで、3週間後にはほぼ正常に歩けるようになりました。ただし、軽度の頭部傾斜は残存しました。
中耳炎・内耳炎:感染が内耳に波及
中耳炎・内耳炎は26%の症例で認められ、特に若齢犬で多い傾向があります[3]。慢性外耳炎の犬の50%以上で中耳炎が併発しているという報告もあり[8]、耳の問題を軽視してはいけません。
実のところ、70%以上の症例で鼓膜は破れていないため、診断が難しいことがあります。2017年に診察したコッカースパニエルは、外耳炎を繰り返していましたが、ある日突然ふらつきが出現。CT検査で中耳に液体貯留が確認され、鼓膜切開術により膿を排出しました。
甲状腺機能低下症:代謝の問題
意外に思われるかもしれませんが、甲状腺機能低下症も前庭疾患の原因となります。188頭中7頭(3.7%)で確認されています[3]。甲状腺ホルモンは神経機能の維持に重要で、不足すると様々な神経症状が現れます。
2019年の症例では、歩行異常で来院した9歳のゴールデンレトリバーの血液検査で、総T4値が5nmol/L未満、TSHが0.5ng/mL以上と、明らかな甲状腺機能低下症が判明しました。ホルモン補充療法により、6週間で症状は完全に消失しました。
先天性前庭疾患:生まれつきの問題
若齢犬、特に生後3-4ヶ月で発症する場合は、先天性の問題を疑います。フィンランドハウンドでは、SEL1L遺伝子の変異による早期発症型の小脳性運動失調が報告されており[9]、生後9週(4-12週の幅)で症状が現れます。
回復への道のり:治療と経過
回復までの一般的な経過
・初期(1-3日):症状のピーク、吐き気や食欲不振
・改善期(4-7日):徐々に歩行が安定
・回復期(2-4週):ほぼ正常化、軽度の後遺症の可能性
・慢性期(1ヶ月以降):26.5%で頭部傾斜が残存[3]
治療は原因により異なりますが、支持療法が基本となります。吐き気に対してはオンダンセトロンが有効で[2]、2021年の研究でも前庭疾患に伴う悪心の改善が確認されています。
さて、抗生物質の使用についてですが、中耳炎・内耳炎が疑われる場合は3-6週間の長期投与が必要です[8]。2018年に診察したフレンチブルドッグは、初期治療で2週間の抗生物質投与後に再発し、結局6週間の治療を要しました。
ところで、回復の程度には個体差があります。過去に前庭疾患の既往がある犬では、回復率が3.53倍高いという興味深いデータもあります[3]。一方、MRIで脳神経の造影増強が見られた症例では、完全回復率が43.2%に低下します。
飼い主ができる3つのサポート
環境整備で転倒防止
まず最初に、家の中を安全にしましょう。2015年に相談を受けた飼い主さんは、階段にベビーゲートを設置し、床には滑り止めマットを敷きました。また、家具の角にはクッション材を取り付け、万が一転倒しても怪我をしないよう工夫されていました。
食事と水飲み場は、頭を下げると眩暈が悪化することがあるため、台の上に置いて高さを調整します。実際、この簡単な工夫だけで、食欲が戻った症例を何度も経験しています。
リハビリテーションの重要性
回復期のリハビリは重要です。ただし、急性期(発症3日以内)は安静が基本。その後、徐々に活動量を増やしていきます。2020年の症例では、毎日5分ずつ散歩時間を延ばし、3週間で通常の散歩量に戻すことができました。
バランス訓練として、不安定な場所(柔らかいマットの上など)での立位保持も効果的です。しかし無理は禁物。犬のペースに合わせることが大切です。
観察記録の付け方
毎日の観察記録は、回復の評価に極めて重要です。記録すべき項目は、歩行状態(5段階評価)、食欲、嘔吐の有無、眼振の程度、頭部傾斜の角度などです。
2019年にある飼い主さんが作成した観察シートは素晴らしいものでした。スマートフォンで毎日同じ角度から動画を撮影し、微細な変化も見逃しませんでした。このような記録は、獣医師にとっても貴重な情報となります。
よくある質問
Q1: 前庭疾患は完全に治りますか?
特発性前庭疾患の場合、2-4週間で多くの症例が改善しますが、26.5%で軽度の頭部傾斜、21.8%で顔面神経麻痺が残存する可能性があります。ただし、日常生活に支障がない程度のことがほとんどです。
Q2: 再発の可能性はありますか?
188頭の調査では、13.8%(26頭)で再発が認められました。特に中耳炎が原因の場合、基礎疾患の管理が不十分だと再発リスクが高まります。
Q3: MRI検査は必要ですか?
中枢性前庭疾患の除外、脳腫瘍や脳梗塞の診断には必要です。ただし、典型的な末梢性前庭疾患で、改善傾向がある場合は、必ずしも必要ありません。費用対効果を考慮して決定します。
Q4: 食事を食べないときはどうすればいいですか?
吐き気が原因のことが多いので、制吐剤の投与が有効です。また、食器を高い位置に置く、少量頻回給餌、嗜好性の高い食事への変更なども試してみてください。
Q5: 車酔いのような症状は前庭疾患と関係ありますか?
はい、前庭系の異常により乗り物酔いのような症状(悪心、嘔吐、よだれ)が出ることがあります。これは前庭系が平衡感覚を司っているためで、症状の改善とともに軽減します。
飼い主の声
「2022年9月、うちの13歳のミックス犬が突然歩けなくなりました。目がグルグル回って、立とうとしても転んでしまって…。でも獣医さんに『特発性前庭疾患』と診断され、適切な治療を受けたら、3週間でほぼ元通りに。今は軽く頭が傾いていますが、元気に走り回っています。あの時パニックにならず、すぐ病院に行って良かったです。」(東京都・Kさん)
「最初は脳の病気かと思って絶望的な気持ちでした。でも中耳炎が原因とわかり、6週間の抗生物質治療で完治しました。早期発見・早期治療の大切さを実感しました。今は月1回の耳掃除を欠かさず、再発予防に努めています。」(神奈川県・Tさん)
参考文献
- Radulescu SM, et al. Vestibular disease in dogs under UK primary veterinary care: Epidemiology and clinical management. J Vet Intern Med. 2020;34(5):1993-2004. doi: 10.1111/jvim.15869. PMID: 32776616
- Mertens AM, et al. Current definition, diagnosis, and treatment of canine and feline idiopathic vestibular syndrome. Front Vet Sci. 2023;10:1263976. doi: 10.3389/fvets.2023.1263976. PMID: 37808104
- Bongartz U, et al. Clinical signs, MRI findings and outcome in dogs with peripheral vestibular disease: a retrospective study. BMC Vet Res. 2020;16:159. doi: 10.1186/s12917-020-02366-8. PMID: 32249679
- Rossmeisl JH Jr. Vestibular disease in dogs and cats. Vet Clin North Am Small Anim Pract. 2010;40(1):81-100. doi: 10.1016/j.cvsm.2009.09.007. PMID: 19942058
- Harrison E, et al. Clinical reasoning in canine vestibular syndrome: Which presenting factors are important? Vet Rec. 2021;189(2):e61. doi: 10.1002/vetr.61
- Stee K, et al. Phenotypic and genetic aspects of hereditary ataxia in dogs. J Vet Intern Med. 2023;37(4):1306-1322. doi: 10.1111/jvim.16742
- Garosi L, et al. Clinical and magnetic resonance imaging characteristics of ischemic cerebral infarcts in dogs. J Small Anim Pract. 2006;47(2):93-100. doi: 10.1111/j.1748-5827.2006.00041.x
- Gotthelf LN. Diagnosis and treatment of otitis media in dogs and cats. Vet Clin North Am Small Anim Pract. 2004;34(2):469-487. doi: 10.1016/j.cvsm.2003.10.007. PMID: 15062620
- Kyöstilä K, et al. A SEL1L mutation links a canine progressive early-onset cerebellar ataxia to the endoplasmic reticulum-associated protein degradation (ERAD) machinery. PLoS Genet. 2012;8(6):e1002759. doi: 10.1371/journal.pgen.1002759
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